忍者ブログ
読書&執筆ホリックの書評&書き物ブログ。
[320]  [318]  [314]  [313]  [309]  [308]  [305]  [306]  [303]  [302]  [301
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

この扉は開けない。



野球賭博絡みのトラブルがもとで失踪した父親から少年のもとに葉書が届いた。
そこには「野球をやっているか。野球をやれ」と書かれていた。
父親の願いを適えるべきか、野球を嫌悪する母親に従うべきか。
おりしも1986年の日本シリーズ、3連敗から4連勝という奇跡が起こった。
野球をやれば父親が帰ってくるかもしれない。憧れの同級生と一緒に
芝居に打ち込む少年の心は揺れる。
少年にも奇跡は起こるのか。
三島由紀夫賞、川端康成賞をダブル受賞した俊英の最新作。

***

宇多田ヒカルが成功した理由には、持って生まれた才能に加え
幼いころから音楽教育を受けていてミュージシャンとしての基盤が出来ていたこと、
R&Bブームの波に絶妙のタイミングで乗れたこと、
等があるけど最たる理由はその〝神秘性〟、なかなか人前に姿を現さない
その売り出し方のうまさにあったと思う。
母親が著名な歌手であることもその神秘性に拍車をかけた。

と、いきなり何を言い出すのかとお思いでしょうが、本作を読んで一番に思ったのが
その〝神秘性が人を神にする〟ということだから。

扉一枚を隔てて、姿を見せないまま息子の香折に彼の出生ルーツを滔々と語る父親。
扉一枚越し、というこのやり方は〝父〟という所帯くさい、鬱陶しいほどに身近な存在を
いい意味で息子から見て高みに置くことに成功してるんじゃないかと思う。
そのことで息子にとっての父親は神秘性を増し、素直に耳を傾けようとも思える。
ただ、このお父さんが唯一失敗してしまっているのは、傷心の息子を励ましながらも
時おりその目的を忘れて自らのノロケ等の自己中心的な話題に脱線してしまうことが
多々あること。
相手への励ましの中に自分の幸せを混ぜ込んで語ってしまう、相手がそれに傷つくとも
知らずに――そういった悪意なき悪意は私も友人からこれまでさんざん食らわされて
きたので(そしてきっと自分も気づかないうちに食らわしてきていると思うので)、
「おい親父余計な話はするなよ」と突っ込むこと少なからずでしたが、やっぱりそれが
人間の不完全さなんだよなー、と改めて思ってしまった。
でもなんだかんだで終盤、己に流れる祖父の血に怯える息子に
話の流れを絶妙にコントロールすることで
「おまえには母さんや祖母の血がより多く受け継がれている、
祖父の血も直結じゃなく自分を経由したものだ、だから何も心配することはない」
と信じさせることに成功した(はずである)父親は、やっぱり息子を心から
想っていたのだろうとも思う。
そしてこの父親の母(つまり香折の祖母)は、要らないことまで言ってしまう彼とは逆に
言うべきことを彼にはっきりと伝えられないまま長い時間を費やしてしまった。
伝えるべきことのみを過不足なく相手に伝える、それはやっぱりひどく難しいことなんだな。
何にせよ、この〝神秘性を増した父親〟の説得に従って、香折には今後も
野球を続けていってほしいと思う(名前が同じなだけにどうも応援したくなる。。。って
私事ですいません)。

それにしても。。。人というのはきつい現実に直面した際、自分で自分の中に
何かしらの革命を起こすことでしかその現実を乗り越えられないんだなあ。
〝祖父〟は長年飼育していた家畜の命を奪うことで、
〝父親〟は惚れた相手を神聖視し過剰に恋愛にのめり込むことで、
自らの内部に革命を起こし、眼に映る世界を変え、つらい人生を歩いていくことができた。
たとえそれが歪な歩みだったとしても、立ち止まることなく生きてこられた。
そのことが果たして本人たちにとっていいことだったのかどうかはわからないけれど、
マンガやドラマのヒーローでもない限り真っ向から現実に立ち向かう必要なんてないと思うし、
考えうる限り最良の〝強い〟生き方だったんじゃないかと思う。
香折も今後そういった〝現実からほどよく眼を逸らすための何か〟を見つけて、
でも野球の道だけは踏み外すことなく、自らの道を歩んでいってほしい。

ところで著者の田中氏、デビュー作〝冷たい水の羊〟に比べて
会話文がめちゃくちゃ達者になっていたので驚いた。
やっぱりデビューしてからいろいろな人に会う機会が多いからかな、とか
余計な詮索をしてみたり(余談ですが彼は10年以上引きこもりをしていた模様)。
そのぶん、直接的な描写はないのになぜか妙に色気のある恋愛描写は若干
鳴りを潜めてしまってましたが。まあ今回は氏がそこに主軸を置いていないだけかな。
でもやっぱりその表現力は秀逸で、描写のひとつひとつに背筋がゾクっとなりましたが。
特に好きなのが父親が香折に言うこの台詞。
「楽にならなくてもお前はきっと大丈夫だ」。
お前は強い、なんて言葉よりよっぽど言われた者を力づける言葉だ。

陳腐な感想ですが、芸能人や恋愛や仕事にやたらのめり込む人の気持ちが
ちょっとわかった気がしました。
それ自体が純粋に好きだということは大前提としてあるのでしょうが、やはり皆
何かに幻惑されることで現実をソフトフォーカスで見られるようにしたいんでしょう。
(作家や音楽家等の芸術家は凝視しすぎてたいてい自分で自分の命を絶つしな。。。)
生きるために。
〝神秘性〟――端的に言えば自分にとっての〝神〟を求める行為は
ある意味何より重要な人間の本能なのかもしれない。

〝祖父〟は他者(家畜)の命を奪い自らが神になった。
〝父親〟は恋した相手を自分の中で女神として位置づけた。
〝息子〟――香折は今後どうなるだろうか。彼はどんな〝神〟に出会うだろう?

おすすめです。
PR
この記事へのコメント
name
title
color
mail
URL
comment
pass   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

secret(※チェックを入れると管理者へのみの表示となります。)
この記事へのトラックバック
TrackbackURL:
プロフィール
HN:
kovo
性別:
女性
自己紹介:
80年代産の道産子。本と書き物が生きる糧。ミステリ作家を目指し中。
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
アーカイブ
フリーエリア
最新コメント
最新トラックバック
バーコード
ブログ内検索
Copyright © 【イタクカシカムイ -言霊- 】 All Rights Reserved.
Powered by NinjaBlog  Material by ラッチェ Template by Kaie
忍者ブログ [PR]