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読書&執筆ホリックの書評&書き物ブログ。
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たとえ狂うことになったとしても。



愛する者を失った「私」は、他人が知れば驚愕するような、ある物を持ち歩いている。
しかし、それは狂気なのか――。
新世代作家の鋭利な意識が陰影濃く描き上げた喪失と愛の物語。芥川賞候補作。

***

虚無・孤独・狂気。
本作の著者の著作には、必ずといっていいほど含まれている三つのモチーフ。
主人公は絶えずそれに怯え、戦い、ときには無意識のうちにその中に取り込まれてしまう。
芥川賞受賞作〝土の中の子供〟の主人公は、敢えて恐怖にぶつかっていくことで
長く抱えていた恐怖に打ち勝つことができた。
けれど、本書の主人公は、恐れていた狂気に自ら身を委ねてしまうことで恐怖から逃れ、
彼と妄想上の〝彼女〟のみが存在する世界での幸福と安楽を手に入れる道を選んでしまう。
視点を変えることによってハッピーエンドにも、バッドエンドにも取れる、
何とも形容しがたい感情を読む者に抱かせる物語だ。

本作は著者がノイローゼになるほどに魂を削って書いた半ば自伝的な物語で、
それを安易にひとつのカテゴリーでくくることははばかられるのですが、それでも
私の中で純文学界における二大傑作ラブストーリーといえば本著と〝火薬と愛の星〟。
男性は女性より単純とよく言われるけれどそのぶん一途で、特にこの二作の主人公は
容易には埋めることのできない深い孤独を抱えているが故に
〝恋愛感情〟とひと言で表すにはあまりに切実すぎる感情を相手に抱いてしまい、
一人の女性に恋をしたときにこうして痛々しいほどの狂気が垣間見えてしまうんだろう。
ある意味羨ましく思える。リスクが高いから少し怖いけど。

たとえ本作の主人公の恋愛感情が真実ではなく彼の脳内で作り上げられた幻想に
過ぎなくても(つまりは主人公が自分の創り上げた恋愛世界に陶酔しているだけで
本当の〝彼女〟のことなど何一つ見えていないのだとしても)、そんな実体のない相手をも
そこまで狂おしく想える、そのぞっとするほどの純粋さにある種の魅力を感じてやまない。

おすすめです。
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そう思いたい、切実に。



28歳のフリーライター、佐倉明日香は、ある朝目覚めると見知らぬ白い部屋にいた。
そこは「クワイエットルーム」と呼ばれる、女子専用の精神病院の閉鎖病棟。
明日香はそこに来た理由を思い出せずにいたが、個性的な患者達と接し、
次第に馴染み始める。

***

悔しいことに最近読んでいて胸を衝かれ触発される小説というのが
私が専門としているミステリではなく純文学のほうに多い。
本作もまさにそれ。してやられました。

精神を病んだ面々が実にコミカルかつシュールに描かれている本作、
もう一年近く心療内科のお世話になっている私が読んでも不快感を感じない。
実際には見るに耐えないはずであるシーンも、著者独特の言い回し&表現で
さらりと読める。時には吹き出してしまうこともしばしば。
それは、この物語を覆う空気感が単にチャラけているだけじゃなく、その根底に
碇のように根を下ろした〝重さ〟がちゃんと感じ取れるからでしょう。
それは深いところに沈んでいて読み手には見えないけどちゃんと感じる。

ラスト一ページは、清々しさと切なさがないまぜになった何とも言えない感覚に
思わず「うおー」とか声をあげてしまいました。最高。鳥肌立った。

タイトルの割りにクワイエットルームがほとんど出てこないのは若干気になるところですが。
単に著者が〝クワイエットルーム〟という単語をタイトルに使いたかっただけなのか、
それとも(ありきたりな表現をすれば)誰もが発狂しそうな静寂の部屋を胸の内に抱えている、
という意味合いでもあるのか。作中に
たまたま運悪く高価な壺を割って多額の借金をしてしまう人がいるように、
わたしもたまたま正気を踏み外した場所に精神病院があって、
身動きが取れなくなっているだけなのだ

という記述があるように、たまたまクワイエットルームへの扉を開けてしまう人がこの世には
少なからずいる、そういうことなんだろうか。
著者に訊いてみたいところです。

何はともあれ久しぶりに出会えた傑作。
おすすめです(あまりに繊細な人はやめといたほうがいいかもしれないけど)。



quiet.jpg




映画化もされてます。近いうち観てみる予定。

 

彼はモンスターです
あなたはモンスターのいる病院で働いているのです――




性の尊厳を巡る書き下ろし医学サスペンス!
「ひとは男女である前に人間だ」。
インターセックス(男女どちらでもない性器官をもっていること)の人々の魂の叫び。
高度医療の聖地のような病院を舞台に、医療の錯誤と人間の尊厳を問う書き下ろし長編。

***

性同一性障害とは異なり、精神ではなく身体そのものがその人本来の性別とは異なる、または
心身共に両方の性を持ち合わせている、いわゆる〝両性具有者〟――インターセクシャル。
詳しくない人はこちらを見るか、↓このマンガがおすすめです。



というのはまあいいとして。。。
昔から男女間だけではなく生物学としての〝性〟を描き続けてきた作家さんだけあって、
本作もインターセクシャルという特殊な病(障害?)を軸に、
その他女性が(場合によっては男性も)抱える性的な葛藤、日本における性差医療の極端な遅れ、
産婦人科医が減少し続けている日本の現状、そういった諸々を見事に描き出していて
非常に読み応えがあります。
ただ、そういったことにページを割いてしまっているぶん〝物語〟部分が薄っぺらい。
ヒロインが終始淡々と様々な医師や患者たちと上記のような問題について語り合うだけで
ストーリー部分がまったく進まず、それどころか彼女がいろいろな場所に行っては
おいしいものを食べるグルメ紀行的展開が始まり(食べ物の描写がおいしそうなのです、実に)。。。
ヒロインと周囲の人間関係も、誰もかれもがただひたすら彼女をちやほやするだけなので
登場人物たちの関係性に緊張感もなければ当然面白みも見出せず、
終盤でやっとはじめからなかったも同然のミステリ部分の真相が明らかになり、
でもそれもとりたてて驚くほどのものでもなく、気づけば何だか半ば無理やり小綺麗に
風呂敷を畳んで終わった、といった印象。
クライマックスのサプライズ、あれも(確かに驚いたけど)ちょっと卑怯だろ。
プロの作家ならあんな一発ネタじゃなく物語そのもので読み手をあっと言わせてほしかった。
受精〟を読んだときの衝撃はハンパじゃなかったのになあ。。。

本作を読んだ一番の感想は
「本当のモンスターは本作で五人の命を奪った〝犯人〟ではなく、
我が子の命を奪ってまで生きようとする、そして
第一子が遺伝性疾患を持って生まれたにも関わらず
『二人目の子供が健常者として生まれてくれれば上の子を助けてくれる』と
身勝手極まりないエゴで第二子を作ろうとする、それに何より
自分の子供が特殊な疾患を持って生まれたということから目を逸らし、
関わりを避け、罪もない子供を責め立て、あまつさえは見捨ててしまう、
そんな〝親〟たちである、ということ。

その点では〝犯人〟は、歪んではいるけれど決して間違ってはいないのだと思う。
本作の前作〝エンブリオ〟から読んでいればもっと犯人である〝彼〟の考えが
わかったのにとひどく後悔中なので、本作に興味を持った人はまずはこちらからどうぞ。



オマケ:
本作にぴったりの曲。映画も名作です。
これでも私たちは、恋をしたといえるのですか。



他者にその存在さえ知られない罪を完全犯罪と呼ぶ。では、
他者にその存在さえ知られない恋は完全恋愛と呼ばれるべきか?
推理作家協会賞受賞の「トリックの名手」T・Mがあえて別名義で書き下した
究極の恋愛小説+本格ミステリ1000枚。

舞台は第二次大戦の末期、昭和20年。福島の温泉地で幕が開く。
主人公は東京から疎開してきた中学二年の少年・本庄究(のちに日本を代表する画家となる)。
この村で第一の殺人が起こる(被害者は駐留軍のアメリカ兵)。凶器が消えるという不可能犯罪。
そして第二章は、昭和43年。福島の山村にあるはずのナイフが
時空を超えて沖縄・西表島にいる女性の胸に突き刺さる、という大トリックが現実となる。
そして第三章。ここでは東京にいるはずの犯人が同時に福島にも出現する、という
究極のアリバイ工作。
平成19年、最後に名探偵が登場する。
全ての謎を結ぶのは究が生涯愛し続けた「小仏朋音」という女性だった。

***

戦後から現代までに起きた様々な実際の事柄を交えつつ淡々と描かれた、
ミステリというよりは一人の男の半生記、とでも言うべき作品。
大きく全三章に分かれたストーリー中でそれぞれ展開される〝謎〟も、どれも
既に本格作家が書いているようなもので、真相も特に驚くに値するものじゃないので、
ミステリとして読むと肩透かしを食らうかも。
特に第三章のトリックは、「別にそんな設定にしなくても画家なんだから絵で
書いておけばいいだけじゃん」と突っ込みたかった(意味は読めばわかる)。
どうしてもあのトリックを使いたいのなら、序盤でもうちょっと読み手にフェアな伏線を
張っておいてほしかった(たったあれだけのヒントでそこまでわかるかよTT!)。
荻原浩氏の〝お母さまのロシアのスープ〟みたいな時代設定なら途中で気付けたかもだし
まだ納得もいくけど。
最後の最後で明かされる最大の〝真相〟も、序盤での伏線の張り方があまりに
あからさまなのですぐに気付いてしまい、「ああ、やっぱり」としか思えなかったし。
けれどその直後、はっと「あっ、だからこの小説はこのタイトルなのか!!!」と
悟ったときの衝撃と戦慄は生半可なものじゃありませんでしたが。
ここまで見返りを求めない、献身的な恋愛感情はそうそうないです。
〝容疑者Xの献身〟の石神どころか、かの人魚姫すら敵わないのでは。
ラスト部分だけは近来稀に見る驚きトリックだったことは確かです。
あまりのことにしばらく呆然としたあと、切なくて泣きそうになってしまった。

文章表現が非常にうまく、キャラクターも皆最高にいい味出している
読んでいてとても気持ちのいい物語。
非常におすすめの一作です。

註:ただ、これを読んで感動した人は読まないほうがいいかも。
どちらの世界観も壊れます。完全に別物と割り切れる自信のある人だけどうぞ。



オマケ:
yasu.jpg




犯人はヤス。






「君はこれまでに何度もその台詞を言った。だが一度でもぼくがはずしたことがあるかい?」



進化し続ける天才、最強の新作!!
ボスニア・ヘルツェゴヴィナで、心臓以外の臓器をすべて他の事物に入れ替えられる、
凄惨な切り裂き事件が起きた!
MMORPG(オンライン・ゲーム)の闇を御手洗潔が暴く!

中世クロアチアの自治都市、ドゥブロブニク。
ここには、自由の象徴として尊ばれ、救世主となった「リベルタス」と呼ばれる
小さなブリキ人間がいた――。
ボスニア・ヘルツェゴヴィナの一都市モスタルで、心臓以外の臓器をすべて
他の事物に入れ替えられるという、酸鼻をきわめる殺人事件が起きた。
殺されたのはセルビア人の民族主義グループの男たちだが、なぜか
対立するモスリム人の男の遺体も一緒に残されていた。
民族紛争による深い爪痕と、国境を越えて侵食するオンライン・ゲームによる
仮想通貨のリアル・マネー・トレード。
2つの闇が交錯するとき、複雑に絡み合う悲劇が起こる。

同じく民族紛争を題材とした中編「クロアチア人の手」も同時収録。

***

。。。初期の御手洗を返してほしいなあ。。。
自分の足で駆けずり回って、周りに変な目で見られても意にも介さず、
相棒の石岡に突っ込まれながらも終盤で華麗に、そして得意げに謎を解明してみせる
御手洗潔が大好きだったのに。。。
まあ、御手洗が石岡を捨てて海外に行ってしまってから私の中で御手洗シリーズは
半ば終わってはいるのですが(いくら石岡との別離が彼の自立のためだとはいっても)、
御手洗は本格ものでは一番好きな探偵なので新作が出ると手にとらずにはいられない。

でも、最近の御手洗シリーズはまずはじめに基盤となる社会問題ないし
既存のストーリー(童話や伝承等)ありきで、著者の島田氏がそれに手を加えて
ミステリ仕立てにしているだけ、といった感がある。
初期の〝占星術殺人事件〟〝斜め屋敷の犯罪〟なんて、100%島田氏の創作で
書かれていたし、真相がわかったときの驚きといったらもうハンパじゃなかったのに。。。
そもそもやっぱり御手洗と石岡、この二人は絶対一緒にいなきゃ駄目です。
だって、ドラマ〝相棒〟の右京さんと亀ちゃんがコンビ解消してそれぞれに活躍してる話なんて
誰が読みたい?

一話目〝リベルタスの寓話〟も、トリックはどうせやるなら
犯人が中身を全部くり抜いた他人を着ぐるみにして中に入って別人として殺人を犯す〟ぐらい
やってほしかった。
二話目〝クロアチア人の手〟は、相変わらずおとぼけで小心で優しい石岡君を見れたのは
嬉しかったけど、あのアンフェアすれすれの殺人方法。。。
あれは賛否両論分かれるだろうなあ(私はちなみに否定派です)。

だいたいどちらの事件も警察があまりに無能すぎ。
もっと入念に調べれば誰かしら真相に気づくだろうにいったい何をやっているのかと。
もしかして島田氏はもうその程度のトリックしか考えられなくなっちゃったから、
御手洗を海外に飛ばして敢えて安楽椅子探偵にすることで、御手洗の天才性を保っているん
だろうか。。。(御手洗が現場にいたらあまりの事件の簡単さに拍子抜けして
「この程度は君たちでやりたまえ」と言い捨ててとっとと帰っていくに決まってるし)。

御手洗シリーズ、という肩書きさえなければまあまあ読めるミステリなんだけどね。
オタク発言ですいませんが、本作には読後、FF12をやったときと同じ憤りを感じました。
「これ、タイトルにFF(ファイナルファンタジー)って書いてなきゃ絶対売れてないよな。。。」と。
「これ、タイトルにFFって書いてなきゃここまで腹も立たなかったのにな。。。」とも。

次回作に(うっすら)期待。
次はどうか病気ネタと童話ネタと時事問題ネタ以外でよろしく、島田先生。
あぁ。秘密の匂いだ。



消費されて終わる恋ではなく、人生を搦めとり、心を縛り支配し、
死ぬまで離れないと誓える相手がいる不幸と幸福。
優雅で惨めで色気のある淳悟は腐野花(くさりのはな)の養父。
物語はアルバムを逆から捲るように、二人の過去へと遡る。
震災孤児となった十歳の花を若い淳悟が引き取った。空洞を抱え愛に飢えた親子には、
善悪の境も暗い紋別の水平線の彼方。そこで少女を大人に変化させる事件が起き……。
黒い冬の海と親子の禁忌を、圧倒する恐さ美しさ、痛みで描ききる著者の真骨頂。

***

すれ違ったりケンカしたり別れたり。。。そんなとき
愛し合って結婚したはずの男女が口にするのは決まって
「夫婦なんてしょせん他人だから」。
それでいくと本作の主人公二人の恋愛の形はある意味究極形なのだろうと思う。

親子。
同じ傷を持つ。
共犯者。

これだけの繋がりがあれば離れられないのは当然で、だけどそのぶん残酷だ。
万一片方が消えてしまったときに、残された側の心の修復が利かない。
だから男と女は他人で、完璧には分かり合えない、愛し合えないようにできているのかも
しれない。

本作は直木賞を受賞しているだけあり確かに名作ではあるのですが、
終わり方(といっても本作の構成上エンディングは冒頭にきています)が
やや尻切れトンボであったり、
書くべきところを書いていない、その割りに読者が自分の想像で補える部分を
わざわざ書いてしまっていたりと少々描写のバランスが悪い(「おかあさん」のくだりは
ああ何度も書かないほうがやりきれなさが増すし〝父親〟のミステリアスさが保てて
よかった気が)、
そして〝感情らしき感情を持たない、父親以外の人間には無関心〟なはずである
ヒロインの花が、ありがちな嫌悪感を別の女性に抱いたりといったキャラづけの不明確さ、
そういった点が惜しい作品だとも思う。

似たテーマで書かれた物語なら↓のほうがおすすめ(マンガですが)。

 

ところで作中に登場する〝チェインギャング“という絵画、実在はしませんが
この物語を読むとこの絵が(植物じゃなく人間ではあるけど)主人公二人の関係性を
実に的確に表現している気がしてならない。
chaingang.jpg














そしてこの歌も聴くたび彼ら二人の関係性を思い起こさずにはいらない。




それにしても。。。寂しいんだな、皆。
闇が来る。



美しいものは恐くなければならない。恐いものは美しくなければならない。
美しさの中に恐怖の構図が仕組まれていた「失鷺飛来図」。
絵の秘密をめぐり、女と男がたどる愛と恐怖の旅路。ホラー長編。

***

著者本人もあとがきで書いているように、本作は単なる〝ホラー〟というジャンルに
簡単に押し込めるような作品ではないです。
冒頭の静謐な闇を思わせる描写、それが物語が進むにつれ次第にサスペンスの様相を増し、
クライマックスでは〝スクリーム〟〝チャイルド・プレイ〟等のB級ホラー的展開をしますが、
全体を通してみれば非常に大きな〝哲学〟――
「人はこの生きづらい世の中にあって、どこまで己自身と向き合い、
恐怖と孤独に打ち勝って自分にしかできない何かを成し遂げ、遺せるか」
が見えてきます。
本作に登場する〝朱鷺飛来図〟という絵は、
視点を変えて見ることで地獄絵図に変化するといういわゆる〝騙し絵〟なのですが、
この物語も数年前初めて読んだときは私には単なる〝朱鷺の絵〟にしか見えなかったものが、
今回改めて再読してみてようやく、そこに隠された真実の絵が浮かび上がって見えてきた次第。
それにしてもこれに気づかないとは。。。幼かったなあ当時の自分。。。(言い訳すると初読が
相当大昔だったので。。。いや、でも気づく人は一回で気づくか。まだまだ修行が足らないな自分)。

何か夢があってそれに向かってがんばっている人、
苦しいことがあって前に進めずつらい思いをしている人、
そういった人たちに是非一度手にとってみてほしい作品です。
前者には〝一つのことを成し遂げるというのがいかに覚悟のいることか、けれど同時に
いかにやりがいがあり誇らしいことか〟を、
後者には〝生きる恐怖というのは己が生み出した妄想に過ぎない、
共に立ち向かえる相手を探し出すことができれば何も恐れることはない〟ということを、
本作は教えてくれるはずです。



追記:
表紙がこっちのほうが好きなのでハードカバーを紹介しましたが
文庫版も出てます。

追記2:
本作が書かれた15年前時点では生き残りが二羽、と書かれていたトキの現状が
このサイトで見れます。興味のある方はどうぞ。


ibis.jpg








人間なんてそんなもんなんだから。



ほら、人間という生き物は、こんなにも愚かで、哀しい。
数多のエピソードを通して浮かび上がる、人間たちの愚行のカタログ。

***

このブログにもいつも書いていることですが、
私がこの世で一番嫌うのは〝悪〟よりも〝俗悪〟な人間で、それはたとえば
何人もの人間を街中で殺傷した人間よりも、それによる被害者を
悪びれもせず平然と写メールで撮っているような無神経な連中のことです。
先日我が家の隣家の人が変死したのですが、それを面白おかしく話してまわっている
近所の中年女(主婦、とかおばさん、とか呼ぶ気にもなれないので。すいません)たちにも
正直心からの軽蔑を感じて吐き気がしたし。
綿矢りささんのデビュー作〝インストール〟でも、
主人公の少女が出会う小学生の少年の義理の母親が似たような感じで、
思春期の息子に向かって「男の子と女の子どっちが欲しい?」と訊ねてみたり
生理のときには風呂場の前にショーツとナプキンの組み合わせを一列に並べたり。。。
悪意がないから注意できない。でも悪意がないぶんよっぽどタチが悪い。
本作にはそういった連中ばかりがこれでもかと登場します。
初めて読んだときはあまりの苛立ちに本をぶん投げてやろうかと思いましたが、
ある程度年月が経っていい大人になった今読み返してみるとある意味面白い。
バカな人間たちを斜め上から見下ろしているような感覚で読んだ。

悪意なき悪意、法に触れない愚行のほうが、よほど人間を不快にさせることがあるよなと
本作を読んで改めて痛感。
本作を読み終えて、人間として一番〝愚か〟ではないと感じられたのが
一家皆殺し犯である、という滑稽さ。
犯人は純粋な〝悪〟だった。だから法の下に裁かれる(おそらく極刑)。
けれど人間としてより軽蔑に値するのは、その犯人よりも周囲の人間たちのほうなのだから
もう笑っちゃうしかありません。

ただひとつ疑問なのは、冒頭から既に惨殺された状態で登場する友季絵、彼女が
作中の〝愚行〟を本当にやりたくてやったのか、ということ。
案外彼女は人間そのものをこの物語の読み手と同じように高みから見下ろす立場にいて、
だから人間になどはじめから何の感情も抱いていなくて、
単に科学者がマウスでやるように「自分がこうしたら相手はどうするか」という〝実験〟を
無感情に淡々と行っていただけなような気がしてならない。
(〝ハサミ男〟に登場する女子高生が正にそんな感じでしたが、
友季絵にも彼女と同じ匂いをどうにも感じる)

なのでさまざまな人間が語る〝友季絵〟という一人の女性の人物像を、
その語りを疑うこともなく「そうか、彼女は本当に嫌な人間だったのだな」と思ってしまった時点で、
読み手側も自分の頭で考えるのではなく単なる情報だけで相手を判断してしまうという
〝愚行〟を犯してしまったも同じ。
おそらく友季絵があの世で笑っているでしょう。
「私たちを信じて」



心霊現象が絡む事件を捜査する「R特捜班」の連絡係を務める大悟は、
初めて体験する心霊現象にとまどいながらも事件を解決していく。青春警察小説。
山本周五郎賞・日本推理作家協会賞受賞第一作。

★収録作品★

 死霊のエレベーター
 目撃者に花束を
 狐憑き
 ヒロイン
 魔方陣
 人魚姫

***

数馬――古い神道の伝承者の家系。
鹿毛――修行を積んだ、密教の寺の息子。
里美――沖縄の神事に関わるノロの一族。
そんな三人の霊能力者と、その手の能力は持たないものの
何事にも動じず常に冷静沈着(というとかっこいいけど単に極度のマイペース人間)に
彼らの指揮をとるR(霊)特捜班のリーダー・番匠。
そしてそんな彼らに振り回されっぱなしの、刑事課の便利屋的存在である狂言回しの大悟。
それぞれがそれぞれに魅力あるキャラクターで(主人公はちょっと弱いかな)、
特に霊能者たちが事件を解決する際に見せる、やる気がないのに妙に格好いい連携プレーは
なかなかの見もの。
ほろっとさせられたりゾクっとさせられたり、普通の警察ミステリとは一味違った
コミカルな連作短編集です。
全部が軽めの話なので、ふと時間が空いたときにでも手にとって読んでみることを
おすすめします。

反対にミステリとしては、
オチがかぶっている話があったり
心霊をネタにしている割りにはオカルトミステリならではの謎やトリック等がほとんどなかったり(
あってもすぐに気づけてしまうレベル)、
あまり読み応えはなかった。なので本格的なミステリを期待している人にはおすすめしません。
あくまでのほほんと楽しんで読むことを推奨したい物語です。
(特捜班が霊と戦うシーンも、あまりにも描写不足で「いや、もうちょっと書いてくれても。。。」と
ちょっと拍子抜けだったので。まああんまりそこにページを割いても物語の趣旨が
変わっちゃうけど、それにしてもあまりに読者に想像を委ねすぎだったので。。。いや、
委ねる気すらなかったような?)

霊能者三人組はすごく好きですけどね。
いつか彼らそれぞれの視点で書かれた短編で構成された続編を読んでみたいもんだー。
何もない世界だ。



「精神鑑定」に真っ向から挑む感動作!
「心神喪失」の通り魔犯に娘を殺された夫婦。
運命を大きく狂わされた二人はついに離婚するが、事件から4年後、
元妻が街ですれ違ったのは〝あの男〟だった……。

***

江戸川乱歩賞出身の作家さんの割りにはライトな文章を書く作家さんなので、
どの世代の人にも読みやすい薬丸作品。
扱うテーマの面白さ、卓越した構成力と、一見ベタでありがちな内容を
魅力溢れる描写で最後まで一気に読ませてしまう表現力は東野圭吾氏に通ずるものがある。
私の中では薬丸氏はポスト東野です(同賞出身者だし。。。)。

〝統合失調症〟という病気についての描写があまりに浅いのと
全体的に少し物語の掘り下げが足りない感があったことは否めませんが、
なかなかの良作だと思います。
ただ、娘を殺された親があまりに社会派すぎるというか、
子供を失った悲しみよりもそれをいかに世の中に訴えるか、ということにばかり向いていた点が
ちょっと感情移入しにくかったかな。
よく我が子を殺された親御さんが「もう二度と新たなる犠牲者を出さないために」と
自費出版等で手記を書いたりしていますが、正直私はあまりああいうのは好きではなく、
そんなものを書くよりも子供の棺にすがりついて号泣している姿のほうが
よほどこちらの心を打つのに、何故文章のプロでもない素人が自分の筆で人の心を
動かそうなどと思うんだろう。。。と(申し訳ないけど)思ってしまう性質なので、
本作でも著者はそういった両親の心情をより細かく描写したほうがもっといいものに
なったのに、とおせっかいにも思ってしまった。
つまりは娘を殺された両親の言動に、書き手の主張が透けてみえてしまってるんだよな。
だから彼らが〝被害者の両親〟ではなく著者の分身――著者の心情を代弁する人形に
見えてしまうこともしばしば。
終盤での母親のある〝決意〟にはちょっと胸をうたれましたが。
でも現実の警察はたぶんそう甘くないと思うからいざあの〝決意〟を実行しようとしても
難しいだろうなあ。。。悲しいことに。

作中に登場するゆきという少女の抱える秘密にはかなり早い段階で気づいてしまったので
オチを読んでも驚けず残念。ただ、その秘密が明かされる際の彼女の台詞には
切なさでちょっと泣きそうになってしまいましたが。
クライマックスで加害者の味方・被害者遺族の味方が
それぞれの大切な相手を守るために同時に「逃げろ」と叫ぶシーンでも。

心の病は目に見えないしいくら言葉を尽くしても相手も同じ経験をしていない限り
その苦しみを理解してもらうことはとても難しい。
この物語の登場人物たちには皆幸せになってもらいたいと切に願う。

統合失調症に限らず、心の病を抱えた人が共通して見ているのは〝虚夢〟、正に
〝虚〟しくて〝虚ろ〟な〝夢〟だ。
想像にすぎないのに、現実の出来事ではないのに、
次々と頭の中から湧き出してはその人間を苦しめる。闇の中に捉えて決して離さない。
そうして苦しむ人たちのすべてが、悪夢――いや、悪夢よりずっと残酷で苦しい、
虚ろで何もない〝虚夢〟の世界から揺り起こして現実に引き戻してくれる存在を
手に入れられることを、心から願ってやまない。
その現実が、たとえ造り上げられた偽物の現実でもいいから。
彼らを揺り起こした人間が優しい嘘で造り上げた、虚飾の楽園でもいいから。
何もない世界よりは、ずっと。



本作に興味を持った人は、同じテーマで書かれたこちら↓もおすすめ。
純文学ですが非常に読みやすく、いろいろと考えさせられます。

プロフィール
HN:
kovo
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女性
自己紹介:
80年代産の道産子。本と書き物が生きる糧。ミステリ作家を目指し中。
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